小生のドイツ語との係わりは大学に入学して第2外国語としての履修科目でした。小生は工学部でしたので第2外国語はドイツ語しかありません。当時の教科書はひげ文字で書かれており、初めはcとsの区別が困難でしたが慣れるに従って不自由なく読めるようになり学習が進みました。学生時代に1年だけのドイツ語でしたが卒業して名古屋に本社がある製鋼会社に入社して10年位経った頃に鋼材の輸出が盛んになりドイツも輸出先となり客先のバイヤーが我が社を訪問する事があり小生もドイツへ出張する機会が数回ありました。然し簡単にドイツ語が喋れるようにはなりません。ドイツ訪問時には全て英語で遣り取りしました。ドイツでは知識人に限らず英語は良く通じました。
その後転勤で神戸在住となり故黒崎勇先生が会長をしておられた神戸日独協会に入会してそれ以降何度も黒崎先生のグループで訪独しました。ミュンヘンでのオクトバーフェストの大テントでビールをたらふく飲んだ事があります。黒崎先生が退任されて次の方が会長になられ会員を続けて最後にはNPO法人神戸日独協会の専務理事となりましたが不愉快なことがあり専務理事を任期1ヶ月残して退任し会員もやめました。
我が家で蘭、英、米、独、仏、伊、加、豪、香港などからの留学生をホームステイさせましたがドイツ人の若い女子留学生を我が家でホームステイさせその後数年経ってライプチッヒでの結婚式に呼ばれたのは懐かしい思い出です。同様の招きでシカゴ、ハワイ、ドミニカ共和国での結婚式に行きました。
この時辺りから家内と二人でドイツを訪問するようになり北のハンブルクから南のミュンヘンまで巡りました。ミュンヘンでは知り合いのある老人のお宅に泊めて頂きましたがわしの事をドイツ人と言うな、ババリアンと言えと何度も言われました。バイエルンでは他のドイツとは違った風習があり、例えば時計の針が反時計周りに回る時計があり他にも会員の皆様に紹介したい事があります。
最近になって折角身近になったドイツとドイツ語とこのまま離れる事に寂しさを感じ今度は大阪日独協会に入会をする事になりました。今後共宜しくお願い申し上げます。
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☆☆☆藤井文明さんが入会されました☆☆☆
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