特集

【コロナ危機と日本・ドイツの対応】日本とドイツ・EUはなぜ協力すべきか?

大阪日独協会副会長・関西学院大学教授
神余隆博

はじめに

ペストが蔓延した後のヨーロッパが、ルネサンスと宗教改革で中世から近代に変容したように、ポスト・コロナの世界情勢は、米中対立と世界経済のデカップリングが進み、世界は再び二極化に向かうのか、慎重な判断が必要である。今回は、この難問に私の答えを示す余裕はないので、別の機会にゆずることとして、ドイツが新型コロナウィルスのパンデミック(世界的蔓延)にどのように対応したのか、日本の謎めいた対応はどのようなファクターに基づくものか、ポスト・コロナの時代に日本はドイツと如何に協力すべきかについて私見を述べてみたい。その前に、すでにご存じの方も少なくないと思われるが、ドイツにおける感染症との闘いに身を投じた日本の医師がいたことから話を始めよう。

ヴリーツェンの肥沼信次博士

肥沼信次博士(インターネット)           ヴリーツェン市にある墓碑(インターネット)

感染症といえば、日独の文脈で思い起こさせるのは肥沼信次(コエヌマ・ノブツグ)博士のことだろう。八王子生まれの若き放射線科医は、第二次大戦でドイツが敗戦して4か月後の1945年9月にポーランドとの国境に近い東ドイツの町、ヴリーツェン(Wriezen)にいた。シュレージエンなど旧ドイツ領から難民のような形でドイツに帰還してきたドイツ人の間にチフスやコレラが流行した。その時ドイツ人の医者は感染を恐れてか、誰も行く者がいなかったので、ベルリン大学で放射線医学を研究していた日本人医師の肥沼博士が行くこととなった。肥沼信次の活動を研究してこられた故川西重忠桜美林大学教授の著書『日独を繋ぐ”肥沼信次”の精神と国際交流』(アジア・ユーラシア総合研究所発行2017年)から以下の通り引用する。
「ヴリーツェンの伝染病医療センター初代所長に就任した肥沼はチフス、コレラと悪性の疫病が猛威を振るう中で獅子奮迅の活躍をした。患者は常時60人を超えたが医師は肥沼1人だった。看護婦は7人いたがうち5人は相次いでチフスに倒れた。・・激しい臭いの立ち込める凄惨な患者の群れに、ヨハンナ(注: 看護婦)の足はすくんだが、彼は身の危険もかえりみず平気で中に入り、重症の患者から順に診ていった。・・その直後、肥沼はチフスにかかり吐き気と発熱に襲われ、ついに寝込んだ。死が近づいても「自分はいいのだ」となぜか薬を飲まなかった。そして(1946年)3月8日・・多くの患者を救った肥沼もついには自身がチフスに罹り亡くなる。37歳、最後の言葉は「日本の桜が見たい」だったという。」
私がベルリンで大使をしていたときに川西教授からぜひヴリーツェンを訪ねてもらいたいと依頼があり、人口7000人ほどの小さな町を訪れた。
ジーベルト市長のご案内で肥沼博士のお墓を訪れ、また、八王子高校と学校交流をしているヨハニータ・ギムナジウムを訪れた。ヴリーツェンの市民は、同市の名誉市民となっている肥沼信次の名前を皆知っているようだ。このギムナジウムでも若い生徒はコエヌマ・ノブツグという日本人でも発音し難い名前を正確に発音していたことに二度驚かされる(ちなみに、Koenuma はKoyenuma と表記されることもある)。生徒たちは、肥沼博士の医師としての使命感と自己犠牲の尊さを学んでおり、ビーチバレーボール大会が肥沼博士の名前を冠して行われていることも知った。

日本人に潜むファクターXとは

新渡戸稲造博士(1862~1933)        『武士道』(1897)いずれも新渡戸記念館ホームページよりhttp://www.nitobe.jp/inazo/index.html

感染症と言えば、ガーナで黄熱病の研究中に自ら感染して亡くなった野口英世のことを思い出すが、この肥沼信次にもその精神が宿っている。このような使命感と自己犠牲の精神を体現した日本人は少なくない。肥沼もそうだしユダヤ人の命を救った杉原千畝もそうだ。そして最近では、アフガニスタンの医療と灌漑事業に身を投じ、何者かに殺害された医師の中村哲氏もそうである。私の外務省の同僚でイラクの戦後の復興支援のために派遣され、車で移動中に殺害された奥克彦、井ノ上正盛両外交官もそうである。
アジア人として、このような人類愛と使命感そして(そうであってはならないが、結果としての)自己犠牲をいとわないのは、日本人に多い。なぜそうなのか、ドイツ人やユダヤ人はじめ世界の多くの人を感動させたそのような無私の行為をなぜ日本人はできるのであろうか。そこにはやはりファクターXのようなものが存在すると言える。そのファクターXとは何か、これは日本人が、古くから有している公徳心であると私は考える。
キリスト教の愛の精神ではなく、武士道としての「義を見てせざるは勇なきなり」あるいは「惻隠の情」たる仁そして、自分よりも他人を、私よりも公を優先する、アジア人としては珍しい日本人の道徳的不文律が存在しているからではないかと思う。中国人や韓国人の行動規範とされる儒教は、自分並びに親族や親しいものの間の孝を重んじる処世の教えであるが、日本の武士道や公徳心は儒教・朱子学の影響を受けているとは言え、その目的のどこかに、自分ならびに親しい者を超えた公共空間がある。新渡戸稲造が世界に感銘を与えた著書“Bushido”の中で述べた武士道精神が共存する、日本独特の精神文化といったものが長い年月をかけて出来上がったことによるものと私は考えている。
中国の辛亥革命の元となった孫文の三民主義は1905年7月に東京で結成された中国同盟会の運動方針として掲げられ、日本の民権運動に触発されたものと言われているが、中国で最も欠けているのがこの公徳心であると孫文は指摘している。
「中央公論」(2020年7月号)において、碩学の山崎正和氏が、「21世紀の感染症と文明 近代を襲う見えない災禍と日本人が養ってきた公徳心」と題する刮目の論文を発表しておられる。山崎氏は、1995年の阪神淡路大震災以降日本人の倫理感覚の大転換として新しい公徳心が目覚めたという趣旨のことを言っておられるが、私はそのような公徳心は日本社会においては江戸時代あるいはそれ以前から根付いているものであって、現代的なボランティア活動によって蘇ったかもしれないが、長いルーツを持つものであると理解している。
日本人がこのような公徳心ならびに武士道に基づく仁(Benevolence、人への憐憫の心)、潔ぎ良さや義(Rectitude、人間の行うべき道筋)を重んじる心に基づき公の精神空間を作っていることについては、ハインリヒ・シュリーマンが、幕末に著した『シュリーマン旅行記 清国・日本 』(講談社学術文庫 )における江戸幕府の神奈川奉行所の一役人の、シュリーマンを驚かせた、日本入国審査の際の「袖の下」を拒否する態度にも端的に表れているところである。
今回のCOVID -19のパンデミックに際して、日独の対応が何かと比較されるところであるが、私自身は、PC Rの検査数が多い、少ないという問題以上に、都市閉鎖(ロックダウン)を行ったり、罰金を科したり、強制的な措置をとることなく、過去の地震や津波等の自然災害で常に日本人が示してきた、整然とした自粛と忍耐力により感染者数も、死者数(絶対数も人口百万人あたりの死者数)も米国やヨーロッパの他の国に比べるまでもなく、ドイツと比べてもはるかに少ない(何十分の一)ことについて思いを馳せるべきと考える。これには、日本人や東洋人の遺伝子的形質(交差免疫や食習慣)あるいはBCG等の影響ということもあるかもしれないが、文化的、社会的、歴史的な精神に潜むファクターX(すなわち公徳心)が、他の国に比べてより多く存在するということによるものではないかと考える。

メルケルの真価

ドイツ連邦共和国大使館ホームページより

このたびの新型コロナウィルスのパンデミックにおいては、ドイツはヨーロッパで最も死者の死亡者数の数が少ないということが話題となり、これが、PCR検査の徹底並びに、ドイツ特有のホームドクター(Hausarzt)制度によるものではないかと日本においても頻繁に紹介が行われた。他方でドイツを含め世界では、日本は「不思議の国」と映ったようで、検査を徹底しておこなわないにもかかわらず死亡者数が少ない、理解しがたいがパフォーマンスは良い、日本のエニグマ(謎)として話題になった。最近では、ドイツは、外国からのドイツへの渡航者の入国制限に関し、日本をその制限対象から除外することになったようである。
このような「不思議の国」の日本であるが、5月30日付けの日本経済新聞夕刊 によれば、「ドイツの著名なウィルス学者であるシャリテ大学病院のクリスティアン・ドロステン氏が28日、日本の新型コロナウィルス対策を「近い将来の手本にしなければならない」と語った。一部の感染者から多くの感染が広がっている現象に注目し、日本のクラスター(感染者集団)対策が感染の第2波を防ぐ決め手になりうるとの考えを示した。」とのことであり、クラスター・アプローチを初期に徹底して行った日本の面目躍如である。
今回のドイツの対応について政治面では、メルケル首相の危機対応能力に世界から賞賛が寄せられている。その大きな原因は、自ら物理学者というバックグラウンドから、専門家の意見を冷静に取り入れて、自ら考え抜いて言葉を発し政策を紡いでいくメルケル流の慎重な政治手法にドイツ国民が信頼を寄せたということであろう。『中央公論』2020年7月号にベルリン在住の小説家で詩人の多和田葉子氏の「コロナに思う 不安への答え」と題する一文が掲載されている。多和田氏は、今回のドイツの対応が、大胆さと寛容に基づく政策であったことが成功に導いた要因であると述べている。いわく、「ドイツ統一もペレストロイカ後の旧ソ連からのドイツ系ロシア人全面受け入れも、アフリカからの難民の大量受け入れも、寛大な文化保護政策もすべて大胆な政策だった」ということである。
ただ、2011年の福島原発事故に際するドイツの脱原発方針への転換については、私などは、あまりにも拙速で、結論ありきの、誤解を恐れずに言えば情緒的な脱原発への決定であったと当時を振り返って改めて思う。2009年以降のユーロ危機では、あまりにも慎重な対応で、決して先頭に立ってリーダーシップを取らず、「メルケル首相はどこにいる」と言われ、最後の最後の段階で登場して事を収めると言うメルケル流の手法が目立った。欧州ミサイル危機の際のシュミット首相やドイツ統一の際のコール首相の鮮やかな危機管理手法とは異なる、予定調和型のメルケル流危機管理方式だと思っている次第であるが、今回のパンデミックに際しては、少し違った印象を持っている。
それは何かといえば、多和田氏も指摘しているように「下手にカリスマ性を出さないこと」かもしれない。「メディアを通して国民に話しかける時、1954年生まれのこの女性は落ち着いていて、理性的で、人間的暖かみを感じさせる。私腹を肥やしたいとか、スターになりたいという欲望が不思議なほど不在なのだ」(多和田氏)。
確かに、ベルリンのペルガモン博物館の近くのマンションの一角に住み、買い物も近所のスーパーマーケットに普通に出かけるといった庶民性をもっており、メルケル首相をめぐっては在任14年になるというのに、「忖度」とか「お友達内閣」とか「森友・加計」といったネポティズムの話は一切聞かない。これはメルケルが女性だからということではない。例えば、闘う首相と言われたヘルムート・シュミット首相も、愛妻家で、ハンブルクの普通の家にずっと住んでおり、ジスカールデスタン・フランス大統領を自宅に招いた際に、お城のような家に住んでいるフランス大統領から見ると、極めて質素なドイツの首相の家を見て驚いたということがジスカールデスタン回想録に書かれている。これはドイツのよき伝統なのである。そのようなリーダーとしての政治家のあり方、政治手法の違い、そしていざと言うときには極めて大胆な政策を打ち出すというところに彼我の違いが存在する。
もちろん、すべてドイツがよくて日本はダメだということを言うつもりは毛頭ない。そのようなドイツ通にありがちなドイツ崇拝は間違っている。しかし、メルケル首相が日本の首相に比べて今回のパンデミックにおいてドイツ国民のみならず世界中の人々を感嘆させたのは、メルケル首相が3月18日に行ったテレビでの国民に対するメッセージである。このメッセージにおいて、メルケル首相は新聞記者に語るのではなく直接国民に語りかけている。人の移動の自由等への制約は決して安易に決めてはならない苦渋の決断であること、このウィルスとの戦いは第二次世界大戦以来、これほど社会全体の結束が試される試練は経験したことがないので、思いやりと理性を持って行動することを訴えている。そしてまた、医療従事者はもとより、スーパーマーケットのレジ等で働く人についても感染の危険性があるにもかかわらず、そのリスクを冒して、国民生活を守っていこうとする勇気に対して一国の宰相としての国民に対する責任感と思いやりが溢れていたからである。
日本の総理大臣はなぜ、記者会見で新聞記者にのみ説明し、直接NHKテレビ等で国民に語りかけないのだろうか。このことは、私が常に疑問に思っていたことであり、今回はからずも、それが日独の国民が自らの国の長に対して示す信頼感の差となって現れている。しかし、逆のこともかつてはあった。2011年の東日本大震災に際して、天皇陛下が国民に向けて語られた御言葉を衛星テレビ放送を通じて、私はベルリンにおいて見ていた。その後、ドイツのテレビでも報じられたこのニュースを見ていた各国の大使から日本の国民はなんと幸せな国民だろうか、一国の元首が直接あのように真摯に国民に語りかけ、国民を勇気づけようとすることはそうあることではない。その意味で日本は良い元首を持って幸せではないかということであった。天皇陛下が元首かどうかということはここでは議論しないが、国の最高の存在の国民に対する向き合い方の問題ということであろう。今回はメルケル首相にどうしても軍配を上げざるを得ない。
メルケル首相は、すでに与党CDU/CSU党首の座を退き、2021年秋の連邦議会選挙に出馬せず、首相の座も退くと公言している。巷ではメルケル首相のレームダック化がささやかれていたが、今回のパンデミック危機を通じて、メルケル首相が再びドイツのそしてヨーロッパの最強のリーダーとしてよみがえってきたと言えるのではないか。

日本はドイツ・EUと如何に協力をしていくべきか

これまで、1980年代、90年代そして2000年の初め頃までは、日米欧三極ということがよく言われていた。日本もEUも世界経済を支える大きな極のひとつであった。ところが、中国の台頭により、現在では米、中、EUの三極体制になっており、日本は、なお世界第3位のGDP大国ではあるが、1国では極をなす勢いはない。
日本の外交姿勢を見ても、国会における内閣総理大臣の施政方針演説や外務大臣の外交演説を見てもドイツやEUに関する言及は極めて少ない。外務省が発表している「2019年の国際情勢と日本外交の展開」という文書において、日本外交の6つの重点分野として①日米同盟の強化、②北朝鮮をめぐる諸懸案への対応、③中国・韓国・ロシア等の近隣諸国外交、④中東情勢への対応、⑤新たな共通ルール作りを主導する経済外交、⑥地球規模課題への対応となっており、欧州については特別の言及がない。敢えて言えば⑤と⑥のところでの協力が含意されているのであろう。
世界は、米中をめぐる新たな対立と世界的な分断(デカップリング)政策により、また、権威主義的な国々の台頭により、自国中心のナショナリズムに基づく国益重視のユニラテラリズムもしくはバイラテラリズムの外交が支配している。リーダーなき多極化世界において最も重要な外交の要諦はマルチラテラリズム(多国間主義)をいかに意図的に育てていくかということである。日本の戦前の例を引くまでもなく孤立主義や一国主義は決して世界平和をもたらすものではない。国連を中心とする国際機関外交、G20などの多国間外交を日本と価値観と政策を共有するEU諸国とともに推進していくことは、日本の国益増進につながるのみならず、世界の平和と安定に寄与するものとなる。この観点からは、ドイツやフランスあるいはカナダが積極的に進めている「多国間主義のための同盟」(Alliance for Multilateralism)をEU州諸国とともに積極的に取り組んでいくことが必要であり、日・ EU協力の重要性はそこに存在する。
今回のパンデミックを見てもそうだが、今後人類の発展を担保していくためには、大きな阻害要因である感染症の問題とか気候変動の問題に、より一層積極的に取り組まなければならない。このような地球規模課題についての真剣な取り組みを米中両国に促していくためにも、ポスト・コロナの新しい日・EU協力とそれを可能にする日独のリーダーシップがますます必要になってくるであろう。両首脳とも残された政権担当期間をフルに活用して新しい日独協力の地平を開拓してもらいたいものである。

 

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コメント

  1. 神余先生
    本日は素晴らしい投稿を頂き誠に有難うございました。今後共、宜しくお願い申し上げます。

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