ローザ・ルクセンブルク広場
ベルリン都心部に聳える荘厳な灰色の建物。「国民劇場」(Volksbühne)というその建物の向かい側には、老舗の映画館「バビロン座」(Kino Babylon)が構えています。そして、両者の間には芝生が薄く茂る小さな広場があります。その名は「ローザ・ルクセンブルク広場」(Rosa-Luxemburg-Platz)。ローザ・ルクセンブルク(Rosa Luxemburg, 1871-1919)とは、今から約百年前に起こったドイツ革命(1918)に呼応し、更なる社会主義革命を目指すも志半ばで殺害された、ドイツの女性革命家です。しかし、東ドイツの社会主義政権が崩壊して以来、同じ革命家であるウラジーミル・レーニン(Владимир Ленин, 1870-1924)の銅像や名前は街の中から排除されたのに、どうして彼女の名は残り続けているのでしょうか。今回は、姫岡とし子『ローザ・ルクセンブルク』を紹介します。
三重のマイノリティ
のちにドイツ国籍を取得することとなるローザは、当時ロシア領であったポーランドのザモシチを故郷とする人物でした。しかも家族はユダヤ系であり、加えてまだ女性の社会進出が乏しかった時代では珍しい女性の運動家だったわけです。このように、彼女はドイツにおける「三重のマイノリティ」でした。だからこそ、彼女は差別や抑圧を受けている人々に配慮する眼差しを持っていたのだと、著者は言います。しかし、他方でローザはポーランドの民族主義に追随したり、ユダヤ人を特別扱いしたりすることは避けていました。彼女は飽くまで国際主義者であって、特定の民族のために闘っていたわけでなく、世界中のプロレタリアートが平等に連帯することを重視していたからです。また、当時の欧州で盛り上がりつつあった女性運動に対しても、彼女は一定の距離を保っていました。著者が熱を入れて語る、彼女と女性運動家クラーラ・ツェトキン(Clara Zetkin, 1857-1933)との付かず離れずの交友関係は、そうしたローザの態度をよく表しています。
ローザと社会主義者たち
ローザがドイツ史の中で最も注目された場面は、何と言っても、1919年の「一月蜂起」(スパルタクス団蜂起)でしょう。彼女はドイツの社会主義化を求める蜂起の指導者の一人として祭り上げられましたが、ヴァイマル共和国政府が遣わした軍隊によって叛乱は鎮圧され、住民軍の兵士たちが彼女を惨殺しました。この時、政府の頂点に座していたのが社会民主党(SPD)のフリードリヒ・エーベルト(Friedrich Ebert, 1871-1925)です。彼も社会主義者でしたが、暴力革命は望まず、君主制の維持すら主張していました。もっとも、エーベルトの指導下で築かれた共和国は、民主主義的な改革を進めながら急進勢力をしたたかに抑え込むことで、敗戦と革命という大きな困難にも見舞われたにも拘わらず、ドイツを限定的ながら比較的に安定した時代へと導いたと、現在では再評価されています(ローベルト・ゲルヴァルト『史上最大の革命』)。しかし、ローザたちを弾圧したエーベルトは、革命を裏切った、あるいはヒトラーの出現を導く共和国の混乱を惹き起こしたとして、毀誉褒貶の多い人物でした。
ローザはエーベルトなどの穏健な社会主義者とは違っていたわけですが、彼女はロシア革命(1917)を起こして世界初の社会主義国家を建設したレーニンとも一線を画していました。彼女は、彼が「民主主義か独裁政治か」という前提に拘り、革命の過程で政府と共産党に権力を集中させ、民主主義を放棄してしまったことを批判します。このように見た時、ローザ・ルクセンブルクという革命家は、他の政治的指導者とは明らかに「違う」人物と映るのではないでしょうか。ここにこそ、彼女が今日のドイツ連邦共和国でも顕彰されている理由があるように思われます。
かつて、ドイツ史の大家であった林健太郎さんは、ローザを「幻想に生きて幻想に死んだ悲劇のヒロイン」と位置付け、人々の「自発性」に社会主義の夢を見る彼女の態度を「ほとんど宗教的ともいうべき信頼」と批判しました(林健太郎『ワイマル共和国』)。しかし、その「宗教的信頼」こそ、歴史を動かす力となるのであり、連邦共和国が重んじる議会制民主主義とも結び付き得るものでした。とはいえ、この「宗教的信頼」が人々の幸福を今後も約束するかどうかは、歴史の審判を待たねばならないでしょう。
<書誌情報>
姫岡とし子『ローザ・ルクセンブルク―闘い抜いたドイツの革命家』山川出版社、2020年。
<参考文献>
ゲルヴァルト, ローベルト『史上最大の革命―1918年11月、ヴァイマル民主政の幕開け』みすず書房、大久保里香・小原淳・紀愛子・前川陽祐訳、2020年。
林健太郎『ワイマル共和国―ヒトラーを出現させたもの』中公新書、1963年。
文責:林 祐一郎(大阪日独協会学生会員・京都大学大学院文学研究科修士課程)
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