ドイツ四方山話

《読書案内》「友好」という名の「伝統」と向き合うために―ルプレヒト・フォンドラン(鈴木ファストアーベント理恵・小野竜史訳)『日独友好の橋を架けたドイツ人たち』―

 

昨年は日独修好160周年。我らが大阪日独協会はこの機に、あるドイツ語著作を日本語へ翻訳して出版することを企画しました。その著作とは、ルプレヒト・フォンドラン(鈴木ファストアーベント理恵・小野竜史訳)『日独友好の橋を架けたドイツ人たち』です。

 

『日独友好の橋を架けたドイツ人たち』(ユニオンプレス公式サイトより)

 

形式としての列伝

この本の原題は『橋頭堡―日独協調に尽力して― Brückenköpfe. Im Dienst der Deutsch-japanischen Partnerschaft』。元々「橋頭堡」というのは軍事用語ですが、著者はこの原題に特段軍事的な意味を込めたわけではありません。本書の主な内容も、日独友好に貢献したドイツ側の有名人物たちを紹介する列伝となっています。日独関係史を通史的に叙述するのではなく、両者の関係に参与した人物の群像によって描くという形式です。その意味で、『日独友好の橋を架けたドイツ人たち』という邦題は、本書の内実と合致するものでしょう。ただし、本書は「人と物を動かす歴史の力」と題して著者の歴史観の説明から入り、末尾で「未来を念頭に」と題して今後の日独関係を展望しています。単なる人物伝の寄せ集めとして読むのではなく、こうした人物たちの列挙に著者が込めた意味を考えながら読んでみては如何でしょうか。

 

列に加えられなかった人々

本書で扱われる人物は総計20人。やろうと思えばもっと沢山挙げることもできますから、かなり精選された数です。その列は、まだ近代国家としてのドイツが成立していない17世紀のカスパル・シャムベルゲル Caspar Schamberger(1623~1706)やエンゲルベルト・ケンペル Engelbert Kämpfer(1651~1716)から始まり、現代の文化人であるピナ・バウシュ Pina Bausch(1940~2009)やドリス・デリエ Doris Dörrie(1955~)まで続いています。

 

カスパル・シャムベルゲル(ウィキメディア・コモンズより)

 

ところが、この列に加われなかった人もいます。例えば、東北帝国大学で教鞭を執り、日本の座禅や弓道を熱心に紹介したことで知られる哲学者、オイゲン・ヘリゲル Eugen Herrigel(1884~1955)。日独の文化交流を語る際にはよく言及される人物なのに、筆者が確認した限りでは名前すら登場しません。無論、この人物が扱われていないのはおかしい、などという文句は紙幅の限られた列伝に付き物の「無い物強請り」であって、著者自身もそうした批判があり得ることを自覚しています。とはいえ、本書に登場する人物の選定基準に著者の日独関係観、著者の立場性が表れていると理解することは、我々にも許されているのではないでしょうか。

 

ヘリゲルと日本人留学生たち(ウィキメディア・コモンズより)

 

また、本書とは逆のやり方として、日本人のドイツへの貢献は描けないのかと、「解説」を書いた元外交官の神余隆博さんが提案しています。裏を返せば、従来の日独関係が平等なものではなく、ドイツがほぼ一方的に影響を与え続け、日本側もそれに甘んじるという非対称なものだったのではないか、という懸念です。日独関係に限った話ではなく、西洋と東洋というもっと大きな二者間関係を眺めてみたときにも浮かんでくる、普遍的な疑問でしょう。

 

「事実」としての日独友好か、「規範」としての日独友好か

ところで著者は、以前と比べて日独間に距離が開き、互いが互いにそこまで強い関心を抱いていないことを危惧しています。著者が本書の随所で、近年のドイツ政財界の目が日本よりも中国へ向きがちなことを警戒しているのも、こうした危機感と関連しているはずです。筆者が見るところ、ドイツでの長期滞在を見込んで日本からやって来た人々でさえ、ドイツを一つの固有な文化圏としてではなく、欧州や西洋というもっと大きな世界の窓口と捉え、現地の人々と英語でしか意思疎通しない傾向とも連関しているように思われます。

 

ハーゲンベック動物園の日本橋(ハーゲンベック動物園公式サイトより)

 

なるほど、日独間の距離は相対的には遠くなっています。しかし、「日本とドイツの辿った歴史は似ている」とか、「日本はドイツを手本に近代化してきた」といった認識に代表されるように、一般的に考えられているほど、日独関係は元々から親密なものだったのでしょうか。過去をつぶさに振り返ってみれば、そういうわけではないことが分かってきます(例えば、竹中亨「「近しい国ドイツ」の神話」を参照)。日独間に限らず、関係や交流の歴史を知ろうとする読者は、両者が親密だったという「事実」と、両者が親密であるべきだという「規範」を、慎重に区別しようと努めなければなりません。たとえ、「ある」と「べき」との間が曖昧で、はっきりと分けるのが困難だったとしても。

 

東京帝国大学で歴史学を教授したルートヴィヒ・リース Rudwig Riess(1861~1928, ウィキメディア・コモンズより)

 

「過去に友好の伝統があるのだから、今後もそれを変えずに受け継ごう」よりも、「過去にあのような関係が築かれたのだから、今後はこのような関係を築いていこう」という考え方へ。日独交流に携わる我々のような人間こそ、日独友好という自分の信仰の根拠に向き合うべきです。こうしたことを考える上で、本書で取り上げられた人々の姿は、読者にどのような示唆を与えてくれるのでしょうか。

 

<書誌情報>

フォンドラン, ルプレヒト(鈴木ファストアーベント理恵・小野竜史訳)『日独友好の橋を架けたドイツ人たち』ユニオンプレス、2022年

<参考文献>

竹中亨「「近しい国ドイツ」の神話―明治期日独関係の再考に向けて―」『大阪大学大学院文学研究科紀要』第54号、2014年、1-23頁

 

林 祐一郎(京都大学大学院文学研究科博士後期課程・日本学術振興会特別研究員DC1)

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