ドイツ四方山話

《読書案内》「反時代性」ゆえの「先見の明」―野田宣雄(竹中亨・佐藤卓己・瀧井一博・植村和秀編)『「歴史の黄昏」の彼方へ』―

 

先月の12月19日、筆者は京都市左京区の「清風荘」で門番を務めていました。この日、「野田宣雄先生を偲ぶ会」が開かれ、京都大学のドイツ史家であった野田宣雄さん(1933-2020)の一周忌を記念して、彼と関わりのあった研究者や出版人が一堂に会したのです。彼を直接知る参加者たちの間では、透徹した知識人である彼の「先見の明」を讃える声がありました。今回は、そんな彼の門下生たちによって編まれた記念論集『「歴史の黄昏」の彼方へ』を紹介します。

 

野田宣雄『「歴史の黄昏」の彼方へ』(千倉書房公式サイトより)

 

四部構成と同時代評論

本書は、「歴史―原点としての西洋史学―」(竹中亨編)、「教養―大学文化の黄昏―」(佐藤卓己編)、「政治―国民国家の行方―」(瀧井一博編)、「宗教―精神の空白を埋めたもの―」の計四部から成り、それらに同時代の情勢を分析した短い随筆が附属するという形になっています。こうした構成からも分かる通り、著者は狭い地域と時代に留まらない「文明史家」と位置付けられています。彼は視野の広い発信力ある歴史家でした。戦後日本で保守派の論客として数々の同時代評論を著し、受験生向けの『チャート式 新世界史 近代・現代編』の編集などにも関わっています。その彼は、元々西洋史学研究室の出身で、ドイツ史を専攻していたのです。

 

ヤーコプ・ブルクハルト Jacob Burckhardt(1818-97, ウィキメディア・コモンズより)

 

外交史からの出発

のちに『教養市民層からナチズムへ』『ドイツ教養市民層の歴史』といった宗教社会学研究で知られることとなる著者の出発点は、ドイツ外交史にありました。事実、卒業論文のテーマは「世紀転回期のドイツ対外政策について―所謂「揚子江協定」を中心に―」というもので、本書に収録された彼の実質的な処女作も「シュトレーゼマン外交とヴァイマル共和政治の安定」というものです。独裁政権を生み出す政治的混乱期とされていたヴァイマル時代について、むしろ相対的な安定の側面を強調した彼の論説は、この時代を再評価する近年のドイツ史研究を先取りしていたと言えるかもしれません。

 

グスタフ・シュトレーゼマン Gustav Stresemann(1878-1929, ドイツ連邦文書館より)

 

ドイツへの眼差し

著者の「先見の明」は、東西統一と欧州統合を思想的・民族的対立の終焉として歓迎する声が大きくなる中で、時流に迎合しない彼の同時代評論にも表れていました。再統一されたドイツが東欧に強い影響力を持ち、やがて欧州と世界を動かす大国になるという予見(第2章「ドイツ人の歴史の重荷」)、また、西ドイツに吸収された東ドイツで排外主義が蔓延するという予見(コラム2「ドイツ統一で生まれた不安」)、更に、冷戦後の世界で中国が大国として擡頭し、日本は米中対立の狭間に立たされるという予見(第13章「中国の「帝国秩序構築」に日本は対抗戦略をもちうるのか」)は、今となっては当たっているのではないかと思われます。それに、世界規模のイデオロギー対立がベルリンの壁の崩壊によって終焉を迎えた現代、「宗教によって満たされなかった精神の空白」が熱狂的な政治運動によって満たされるのではないかという懸念(第17章「オウムと「宗教の復讐」」)も、強ち間違ってはいないのではないでしょうか。ただし、これら本書に記されている諸々の予見や懸念は、師匠を尊敬する門下生たちによる選別の結果として収録されたものであって、著者の未来予測が常に正鵠を得ていたかどうかは分かりません。

 

野田宣雄『歴史をいかに学ぶか』(PHP研究所公式サイトより)

 

筆者はむしろ、著者の鋭い「先見の明」ではなく、時流に洗われない「反時代的」な確信にこそ、彼の本質があるのではないかと思います。彼の「先見の明」は、過去に未来を見出す循環史観の産物と言えるでしょう。1959年のベルリン留学中、彼はこう書き記しています。「総じて現在のドイツ人―少くとも西側の人々―は、手詰り状態になった政治問題にいつまでも頭を悩ますよりも、現状の範囲内で経済活動を充実させ、生活を享楽して行こうとする傾向が強いようだ。(…中略…)しかしまたそのことの結果として、余りにも現実的になり、大人になりすぎた(?)最近のドイツ人は、粗野な中にも常にあらゆる方面で意欲的であったかつてのドイツを知る者にとっては、いささか物足りなさを感じさせないでもない。早い話が、若い世代も含めて現今のドイツの歴史研究者達が、着実な実証的研究には熱心であっても、全体を大きく見通すような方法論には余り関心を示さないというのも、はるばる極東からやって来た留学生には味気なく思われてならない」(野田宣雄「ベルリン通信」11頁)。

 

<書誌情報>

野田宣雄(竹中亨・佐藤卓己・瀧井一博・植村和秀編)『「歴史の黄昏」の彼方へ―危機の文明史観―』千倉書房、2021年

<参考文献>

「卒業論文題目一覧」京都大学文学部西洋史読書会編『読書会だより』第10号、1966年、11-24頁

野田宣雄「ベルリン通信」京都大学文学部西洋史読書会編『読書会だより』第3号、1959年、10-11頁

同上『教養市民層からナチズムへ―比較宗教社会史のこころみ―』名古屋大学出版会、1988年

同上『ドイツ教養市民層の歴史』講談社学術文庫、1997年

同上『歴史をいかに学ぶか―ブルクハルトを現代に読む―』PHP新書、2000年

前川貞次郎・堀越孝一・野田宣雄編『チャート式 新世界史 近代・現代編』数研出版、2004年

 

文責:林 祐一郎(京都大学大学院文学研究科博士後期課程・日本学術振興会特別研究員DC1)

関連記事

  1. 《読書案内》日本ドイツ学への「異議申立」―今野元『ドイツ・ナショ…
  2. 《読書案内》独裁者の評伝から考える、人物史の在り方―芝健介『ヒト…
  3. 《読書案内》かつて「ドイツ」だった場所の歴史を書くこと―衣笠太朗…
  4. 《読書案内》「ナチズム」が「”国民”社会…
  5. 《読書案内》【ナチスに接近した稀代の思想家―蔭山宏『カール・シュ…
  6. ⑥ローザ・ルクセンブルクのための記念碑 《読書案内》ベルリンに名を残す女性革命家―姫岡とし子『ローザ・ル…
  7. 【京都大学大学院法学研究科の西谷祐子教授がシーボルト賞を受賞され…
  8. 【ベルリンの中の日本―「混沌の都」で出逢った日本人たち】

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


おすすめ記事

  1. 【新しい大阪・神戸ドイツ総領事が着任されました】
  2. 第4回ドイツ・ナレッジセミナーの報告
  3. 日独響演:響き合うチター・チェロ・ピアノ

おすすめ記事

《読書案内》殿下は何しに日本へ?―山中敬一『プロイセン皇孫日本巡覧と吹田遊猟事件』―

今から140年以上前の1878年(明治11年)。開国したばかりの頃の日本に、ドイ…

PAGE TOP