「学問と芸術の豊かなドイツで、どうしてヒトラーのような独裁者が権力を握ったのか」。このような疑問は、ドイツの文化と歴史を考えてみた時にしばしば生じてきます。この問いに答えるためには、ドイツの教養(Bildung)を担ってきた人々がどのような社会集団であったのかを考えなければなりません。今回は、そのような課題に取り組んだ著作として、野田宣雄『ドイツ教養市民層の歴史』を紹介します。
教養市民層とは何か
著者が引用しているクラウス・フォンドゥング(Klaus Vondung, 1941-)の定義によれば、19世紀以来形成されてきた教養市民層(Bildungsbürgertum)とは、大学で高等教育を受けた、経済的豊かさよりも社会的威信を重視するような「文化エリート」のことです。例えば、ギムナジウムや大学の教員、裁判官、行政官僚、プロテスタント聖職者などの官吏や、医師、弁護士、著作家、芸術家、編集者などの自由業者がそれに当たります。その性格について詳しく説明すると長くなりますが、本書の内容を理解する上で重要なのは、ドイツの教養市民層を構成する人々は出身階層や教育水準の点で似通っていて、その多くが死後の救済よりも現世での自己完成を重視するプロテスタント信徒であったということです。
本書は三章構成になっており、著者は第一次世界大戦(1914-18)までの教養市民層の性格と彼らが直面していた問題を第一章で整理してから、第二章で社会学者マックス・ヴェーバー(Max Weber, 1864-1920)によるドイツとイギリスの比較論を引用しています。彼によれば、現世志向的な教養市民たちが大きな影響力を持ったドイツでは、文化と学問が目覚ましく発展する反面、これまで宗教が担保していた現世や人生の意味が薄まったというのです。ヴェーバーについては、昨年7月の読書案内「知的巨人の二つの顔―野口雅弘『ウェーバー』と今野元『ヴェーバー』」でも紹介しました。著者はヴェーバーの比較論に着想を得て、第三章で近代のドイツとイギリスにおける宗教の在り方を比較し、ドイツの教養市民層の問題点を改めて浮かび上がらせました。近代のドイツではプロテスタント優勢の教養市民層がイギリスと違って閉鎖的な性格を持ち、また死後の救済を保証する宗教の役割を軽視したために、人々の心に隙間が生じてしまったというのです。
教養市民層からナチズムへ?
著者によれば、そうした隙間に入り込んできたのが、カトリックの中央党(Zentrumspartei)やマルクス主義のドイツ社会民主党(SPD)といった、特定の世界観を代表する政治勢力であったといいます。そして、本稿の最初の問いに立ち返ってみるならば、ヒトラー率いる国民社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)もそうだったというわけです。こうした議論から、カントとゲーテの国であるからこそヒトラーが生まれたのだという「教養主義の逆説」を説くのも可能でしょう。また、教養市民層がナチズムへと傾いていく過程については、著者の別著『教養市民層からナチズムへ』が詳しいです。ドイツと日本を比較するために、竹内洋『教養主義の没落』や福間良明『「勤労少年」の教養文化史』を読むのも良いと思います。
本書の著者である野田宣雄さんは、昨年12月29日に逝去されました。宗教的な世界観の可能性を信じ、進歩的な教養市民層の閉鎖性を指摘した彼の姿勢は、彼が浄土真宗の僧侶であり、また保守派の論客でもあったことと無関係ではないでしょう。謹んでお悔やみ申し上げます。
<書誌情報>
野田宣雄『ドイツ教養市民層の歴史』講談社学術文庫、1997年。
<参考文献>
「西洋史家の野田宣雄氏死去 京都大名誉教授、本紙正論メンバー」『産経新聞』2021年1月24日。
竹内洋『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化』中公新書、2003年。
野田宣雄『教養市民層からナチズムへ―比較宗教社会史のこころみ』名古屋大学出版会、1988年。
林祐一郎「《読書案内》知的巨人の二つの顔―野口雅弘『ウェーバー』と今野元『ヴェーバー』」『Der Bote von Osaka』2020年7月13日。
文責:林 祐一郎(大阪日独協会学生会員・京都大学大学院文学研究科修士課程)
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