ドイツ四方山話

【”Vor dem Mann” とは俺のことだ】

“Vor dem Mann”は「男前」の迷訳、珍訳で、昭和16年12-13才の少年時代、入学した旧制中学の同級生の作である。我が中学にはドイツ語クラスが三つもあって、H、I,J組各クラス40人ばかりいた。学期末に成績に応じて入れ替えが行われた。H組に成績上位者が集められた。vor dem Mannの作者は、J組であった。ドイツ語を勉強するといっても皆半ば面白半分、遊び半分であった。H組の生徒の駄洒落を紹介する。当時既に米は配給制で育ち盛りの少年たちは年中空腹であった。朝登校するや寮の弁当を食べる級友が多かった。その時彼は立ち上がって言った。“俺たちが弁当を食べるのは目の前に黒板があるからだ。黒板は、ドイツ語でWandtafel という。バンツターフェルは、ベントーターベル。つまり弁当食べるのである。“ 一同爆笑。この男のドイツ語造語がある。“stark ziehen“ つまり強引に行うを意味している。これは可成り流行った。ドイツ語であだ名もつけたがあまり面白いのはない。但し先生につけたあだ名で結構語り継がれたものがある。それは“Winter“ビンター先生である。中川清三先生のあだ名で宿題を忘れたりするとビンタが飛んできた。当時は鉄拳制裁自由の時代であったから、先生に恨みを持っている者はいない。中川先生は、大阪日独協会で常務理事などの要職を務められた方である。序にほかの先生方の話をする。最初に出会ったのはÜberschall先生で、H、I、J三組の生徒を一堂に集めて講義を受けた。先生は、大音声で”das ist ein Füllfederhalter” と繰り返し、生徒も順番に叫ばされた。先の中川先生の得意は”r”の発音で、rは巻き舌で発音するな。Zäpfchen rと言って口蓋垂を使うのだ。但しこれができるのは日本では俺だけだ。お前ら巻き舌でやっとけ、と言われた。他に見次先生、鈴木正治先生がおられた。最もお世話になったのが鈴木先生で卒業後先生が他界される直前まで親しく薫陶を受けた。
昭和16年入学、昭和20年3月に卒業はした。日本は、敗色濃厚で私たちはあわただしく学校を去った。雲散霧消の感であった。満蒙開拓少年団というのがあってそちらへ行ったり、予科練や少年飛行兵になったものもいた。
それから約35年、元少年も初老を迎え、誰ともなく昔の旧友お会いたいなあとの声が鬱勃と沸き上がり手分けして名簿をかき集めて昭和56年3月同窓会を開くに至った。その時の光景は凄まじかった。”乾杯”といったとたん席は乱れに乱れ旧交を温めることになった。誰かが榎本健一の”洒落男”を歌ったことくらいしか記憶にない。宴が果てた後無性に哀しくなった。漢の武帝の秋風辞の中に”歓楽極まりて哀情多し”という言葉があるが、まさしくこれだと感じた。

会の名前を”Zwanzigの会”とした。昭和16年入学、昭和20年卒業という戦争の申し子のような我々を象徴していたからである。この会は、令和元年まで継続し鈴木先生は生涯お付き合いいただいた。以上が我がセンチメンタルドイツ語事始め(ことはじめ)である。
蛇足:どなたかドイツ語で男前を何というか教えてください。辞書では”ein gut aussehender Mann”とありますが。

内山策郎 会員

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