ドイツ四方山話

ベルリンの中の日本―麗しく快き夏の季節―

「ベルリンの夏は美しい Berliner Sommer ist schön」。このような言葉を幾度となく耳にしてきました。緯度の高い北ドイツの6~8月は、蒸し暑い西日本のそれと比べれば、遥かに過ごしやすいものです。メールやネットで日本在住の方々と遣り取りしていても、同時期の日本の猛暑が話題になります。筆者が初めてドイツへ来たのは2015年8月のことで、滞在先は同じく北部の港町ハンブルクでした。したがって、こちらの夏を経験したことはあるのですが、春から夏への移り変わりを経験したのは初めてとなります。そんな時期に、筆者は研究に従事する傍ら、日独混声合唱団「ボーカルアンサンブルさくら」の発表会に向けて歌の練習を繰り返していました。

祭典開幕直前のIBZ正面出入口(2023年6月17日筆者撮影)

祭典開幕直前のIBZ正面出入口(2023年6月17日筆者撮影)

盛夏の合唱会
我々の合唱団は毎週水曜日18時頃から、ベルリン・ヴィルマースドルフ地区のリューデスハイム広場近く、ベルリン国際邂逅ツェントルム Internationaler BegegnungszentrumBerlin(IBZ)の一室で練習を行っています。このIBZは、主にベルリン自由大学 Freie Universität Berlin へ受け入れられた在外研究者たちが住んでいる集合住宅なのですが、住民間相互の交流を図るために、余暇活動のためにも空間が割り当てられているのです。IBZは今年で40周年。これを記念して、6月7日(土)に中庭でお祭りが開かれました。我々はそこで歌うことになったのです。

当日は生憎の天気でしたが、中庭にはギッシリと人だかりが出来上がっていました。お祭りは14時半からの開幕。我々は15時半からたった15~20分程度の登壇だったものの、序盤を飾ることはできました。自由大学で同じコロキウムに参加していたアメリカ・エモリー大学の教会史家ジョナサン・ストローム教授 Prof. Jonathan Stromも、たまたま我々の歌声を聴いていたそうです。その後、無料で食べ放題・飲み放題の晩餐会が催され、お祭り自体は夜22時まで続きました。

フンボルト・フォールム(2023年7月1日筆者撮影)

ただ、我々にはもっと大きな舞台が待っていました。旧ベルリン王宮、フンボルト・フォールム Humboldt-Forum での発表会です。これは、7月1~2日に「フィールシュティミッヒ Vielstimmig」(和訳:多声の)という音楽行事の一環で行われました。同施設は、元々プロイセン王やドイツ皇帝の住居だったのですが、1918年のドイツ革命で君主制が倒れた後、第二次世界大戦中に破壊され、それ以来元通りにはなっていませんでした。ここ十年ほどで王宮時代の姿へと再建が進み、アジアやアフリカの文物を無料で公開する民族学の博物館として復活したのです。ただし、旧植民地からの蒐集品の扱いが問題となったこともあり、そこでは人種や文化の多様性を擁護するという課題が前面に打ち出されています。ここで日本語の歌が披露されるのも、そうした多様性のうちの一つだと位置付けられるのでしょう。

本番では一日に数回、しかも施設内の様々な場所で歌わなければならず、さらに歌う順番や曲目が回によって異なっていたため、非常に骨の折れる体験でした。これほど大きな目立つ会場で歌うことは、もう今後ないかもしれません。その意味で、貴重な体験をさせていただきました。和服を纏った我々は、鍵盤や和琴の演奏を伴って、「ふるさと」「荒城の月」「七夕」「ほたる」「木曾節」「ちゃっきりぶし」「お江戸日本橋」「さくら」「君をのせて」などの日本歌謡を披露しています。また他の合唱団とも連携して、館内の上階からホワイエへ向けてヘブライ語の「さらば我が友よShalom Chaverim」、ドイツ語の「不死のバッハ Immortal Bach」、英語の「君は一人ぼっちじゃない You'll Never Walk Alone」を歌い上げました。二日間の行事を終え、ハッケシャー・マルクト駅へ歩く途中で目に入ってきたのは、
博物館島 Museumsinsel の施設群。そう、今回のベルリン滞在では一度もここの施設に入ったことがなかったのです。

和装姿の筆者(2023年7月2日合唱団員撮影)

和装姿の筆者(2023年7月2日合唱団員撮影)

青熊会参加
博物館島の数ある施設のうちで最も知名度の高い人気の施設が、ペルガモン博物館ではないでしょうか。しかし残念ながら、同館は今年10月から完全休館予定。そこで日本出身の在外研究者たちで構成される親睦団体「青熊会」が、8月4日にペルガモン博物館見学会を企画しました。筆者がこの青熊会という集まりを知ったのは本当に偶然です。というのも、5月にベルリン日本語教会の日曜礼拝に参加して、そこで関西学院大学の岡本智英子教授から青熊会の存在を初めて知らされたからです。そもそも、日本語礼拝に出たのも偶然の出逢いの結果でしたから、筆者は節目節目で幸運な巡り合わせに浴しているのでしょう。

当日の案内を担当してくれたのは、高校卒業後からベルリン自由大学に所属して20年近くが経つという北住智樹さん。古代オリエント学を研究されていて、専門はヒッタイトだそうです。有名なイシュタル門を眺めた後、楔形文字の読み方についても懇切丁寧に教えていただきました。実はこの文字、スタジオジブリのアニメ映画『天空の城ラピュタ』にも登場しているとのことでした。劇中の黒幕であるムスカ大佐が解読していた謎の古代文字が、まさにそれだったのです。また第二次世界大戦前夜の1939年、日本とドイツが著しく接近していた頃には、このペルガモン博物館が「日本古美術展覧会 Ausstellung AltjapanischerKunst」の会場の一つとして、両国の蜜月を誇示する舞台ともなりました。当時ベルリン国立博物館群の元締めを務めていた美術史家オットー・キュンメル Otto Kümmel(1874-1952)は、東アジア美術の専門家としてこの企画の実現に一役買いましたが、独裁政権と協力してユダヤ人たちからの美術品掠奪を進めた人物でもあります。

イシュタル門(2023年8月4日筆者撮影)

見学後は、ザヴィニー広場近くの中華料理店「老友記 Good Friends Restaurant」で懇親会。参加者の顔触れを見るに、自然科学系の研究に従事されている方々が多いようでした。この集まりは以前から日本大使館の関係者によって企画されてきたのですが、コロナ禍によって低調になり、今年5月に復活したそうです。現在の企画者は、日本の文部科学省からベルリンへ派遣されている鈴木悟司さん。後で調べてみると、生物化学で修士号を取得された方で、アメリカ留学経験があり、科学技術政策や高等教育政策を担当されているそうです。懇親会では、今後の企画についても話し合われました。文系と理系、大学と省庁との垣根を超えた友好的な交流がそこにはあったように思います。

驚いたのは、研究のためあまりドイツ語を使わないような理系研究者でも、そこでは多くの方々がドイツ語を比較的流暢に話していたことでした。実は、日本のドイツ史研究者の中にも、円滑にドイツ語で意思疎通できる人はそう多くありません。特に長期休暇で一時的に渡独する歴史学研究者は図書館や文書館に籠りがちで、現地の人々と交流するのを怠りやすいのです。屋内で研究活動に従事しながらも、外に歩み出て現地の言語と慣習に親しまねばならないとの意思を、益々強くしました。

省庁一般公開日、連邦外務省の日本ブース(2023年8月19日筆者撮影)

ヒロシマ・ナガサキ広場訪問
青熊会という集まりの存在を知ったのも偶然でしたが、ある記念碑の存在を偶然に知ることもありました。「ボーカルアンサンブルさくら」では、毎回の練習後に大抵近所の「クマリ Kumari」というネパール料理店へ食べに行っているのですが、その会食中に代表の溝延輝江さんが隣町ポツダムへの遠足に誘ってくれました。同市内のグリープニッツ湖Griebnitzseeの近くにヒロシマ・ナガサキ広場 Hiroshima-Nagasaki-Platz という場所があり、ベルリン独日協会の面々で訪れるから、貴方も来ないかとのことでした。そういえば、溝延さんは独日協会の理事だったのです。

8月27日(日)の昼前、我々はグリープニッツ駅前に集合します。筆者は写真撮影係を担当しました。今回の案内役は、1985年頃からベルリン在住のふくもとまさおさん。この辺りは元々、東西冷戦期に壁があった所で、当時に越境しようとして射殺された人々を追悼する記念碑も建てられていました。壁が崩壊した後には、テルトウの並木道と同様、日本のテレビ朝日によって桜の記念植樹も行われています。今や近辺は高級住宅街で、私有地が湖畔の道を所々で封鎖しているようです。時代の移り変わりを感じます。 ヒロシマ・ナガサキ広場に到着した我々は、記念碑に献花を行いました。この碑は、広場の名が示す通り、1945年8月に日本の広島と長崎で被爆した人々のことを記憶するためのものです。説明文が独英日の三言語で表記されていました。ここには、実際に現地で被爆した岩石が展示されています。勿論、現在では人体に無害であることが証明されたものです。ただし、この広場の知名度はあまり高くなく、これから広く周知されていくことが求められるようでした。

ヒロシマ・ナガサキ広場(2023年8月27日筆者撮影)

やがて近くのイタリア料理店「ピアッツァ・トスカーナ Piazza Toscana」で昼食を済ませた我々は、トルーマン・ヴィラ(フリードリヒ・ナウマン財団 Friedrich-Naumann-Stiftung の事務所)、チャーチル・ヴィラ(ヴィラ・ウルビヒ Villa Urbig)、スターリン・ヴィラ(ヴィラ・ヘルピヒ Villa Herpich)を外から眺めました。それぞれ、第二次世界大戦末期の1945年夏、日本の戦後処理を話し合うポツダム会談のために連合国の首脳が滞在した建物です。会談と滞在の場所にここが選ばれた理由には、本来ならそれに相応しい首都ベルリンが市街戦で大きく破壊されていたこと、要人の警護にここの景観が最適だったことなどがあるそうです。
かつて風光明媚なヴァン湖畔で「ユダヤ人問題の最終解決 Endlösung der Judenfrage」が話し合われたように、陰鬱な現代史の一幕がこの美しい別荘地で展開されていたのです。しかし、グリープニッツ湖周辺だって、一見するだけではそんな場所には思われません。過去に関する何らかの解説がなければ、綺麗な住宅街を眺めるだけで終わってしまうでしょう。歴史を知るとは、時間の経過と共に埋もれてしまった地層の存在を認めることでもあります。

記念碑への献花(2023年8月27日筆者撮影)

もう9月となり、ベルリンの美しい夏は去ろうとしています。筆者による今回のドイツ滞在も半年という期間を過ぎました。日も短くなってきましたから、秋の訪れを感じます。これからは日照量が不足していく中で、自分の精神衛生への配慮も重要になってくるでしょう。だからこそ、その時その時に咲く邂逅と交流の花を大切にして、残り半年間を乗り切っていきたいと思います。

林 祐一郎(京都大学大学院文学研究科博士後期課程・日本学術振興会特別研究員ⅮC1)

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