ドイツ四方山話

《読書案内》ドイツの生活風景を読む―久保田由希/チカ・キーツマン『ドイツの家と町並み図鑑』―

 

2019年の秋からベルリン自由大学 Freie Universität Berlin(FU)で留学生活を始めた頃、筆者は「シュラハテンゼー学生村 Studentendorf Schlachtensee」という寮に入りました。ここは元々、1957年に連合軍の影響下で設置された学生寮です。様々な棟が集合して村を成しているという意味では、一つの町のような景観が形作られていたとも言えます。そこには、国民社会主義政権時代を経験したドイツの将来有望な若者たちが、民主主義的な「再教育 Reeducation」を受けて、戦後のドイツ連邦共和国を担う立派な市民になるべきだ、という政治的な願望が込められていました。派手な装飾をなるべく減らし、コンクリートやガラスを用いて、白を基調とした合理主義的なその建築様式は、リベラルで進歩的な価値観と合致したのでしょう。もっとも、ここで自主的な学生運動が盛り上がったのは1968年以降のことで、ほとんどの学生たちは学問や政治よりもダンスパーティーでの社交にお熱だったようです。こうした社交の伝統は今も続いているようで、学生村の中に設けられたクラブでは、酒を飲んだ学生たちが夜を踊り明かしていました。

 

シュラハテンゼー学生村(ウィキメディア・コモンズより)

 

風景を切り取る
今回紹介する久保田由希/チカ・キーツマン『ドイツの家と町並み図鑑』は、そんなベルリン留学時代の生活風景を想い出させてくれました。本書はドイツの家屋の基礎知識を押さえる第一章、一軒家を扱う第二章、集合住宅を扱う第三章という三章構成で、読者は写真を眺めながらドイツの生活文化の一端を知ることができます。単なる写真集ではないため、外観や委細だけでなく建築様式や内部構造についても詳しい説明があるのは有り難いところです。更に、画像をふんだんに盛り込むことで、より総合的で分かりやすい表現がなされているのは言うまでもありません。

 

『ドイツの家と町並み図鑑』(エクスナレッジ公式サイトより)

 

ただし、特定地域の生活風景を辿るという意図からか、著者たちが歴史の積み重ねや移り変わりに言及しながらも、「固有の風土と文化」や「その土地で育まれた生活文化」といった言葉を「はじめに」に含めているのは象徴的でしょう。というのも、本書に掲載されている建築の写真は全て最近のものであることから、静止した現在の中に過去からの名残を見るという態度を本書は貫いているように思われるためです。本書が写真で建築を示すとき、そこで《歴史》とされるのは「変わるもの」よりも「変わらないもの」であって、そこから感じられるのは過去の《重力》です。こうした歴史観が、古い建物を住宅として再利用することが推奨されるドイツ事情と、ある意味で適合的なのかもしれません。

 

エルトヴィレの路地(2020年1月17日筆者撮影)

 

生活が芸術になる
しかし、家や町並みは風土や文化と関係しながらも、どちらかと言えば人間が生活するための必要から生まれたものです。ですから、今の我々が見て「美しい」と思う部分も、元々が芸術表現のために設けられたものではなかったり、そもそも昔は余計で「ダサい」ものだったりしたわけです。例えば、ドイツでよく見られる家屋の木組みは丈夫な壁を形成するために採用された技術ですし、尖がった屋根も雨水や積雪が下へ落ちるように工夫されたものです。中世に市壁の防御施設として設置されたものが、現在は民家や飲食店になっているという事例も、本書で紹介されています。外部からの必要に応じて生み出されたものが、それ自体で魅力ある表現を為しているのです。本来の意図とは異なったものが実現されてしまうという点に、筆者は建築の歴史性を感じます。

 

ローテンブルクの雪景色(2019年9月13日筆者撮影)

 

政治が建築を生む
本書で紹介される建築物の中には、特定の政治的価値観と関連したものも登場します。都会的な要素を避けて田園へ回帰しようとしたレフォルム建築、労働者の生活向上を意図したモダニズムジードルングやプラッテンバウ、社会主義政権の威容を誇るスターリン建築などがそうでしょう。その意味で、建築史は社会史や文化史だけでなく、政治史や思想史とも接続します。実は、筆者のかつての指導教員も建築史の先生で、19世紀ドイツの住宅改革運動やモダニズム建築家のブルーノ・タウト Bruno Taut(1880~1938)を研究対象にしてきました(北村昌史『ドイツ住宅改革運動』同「ブルーノ・タウトとベルリンの住環境」を参照)。この場合、歴史家にとって建築そのものも研究の《史料》になり、それが現役の住宅ならその只中で歴史家が暮らすことさえできるのです(北村昌史「『史料』に住む」を参照)。何らかの意図をもって作られたものが別の目的で用いられるように、我々が普段何気なく住んでいる家にも何らかの政治的・歴史的背景があるかもしれません。

 

<書誌情報>
久保田由希/チカ・キーツマン『ドイツの家と町並み図鑑』エクスナレッジ、2022年

<参考文献>
“Über die Geschichte“, Studentenwohnheim Berlin: Studentendorf Schlachtensee und Adlershof, 25.02.2023.
北村昌史『ドイツ住宅改革運動—19世紀の都市化と市民社会―』京都大学学術出版会、2007年
同上「ブルーノ・タウトとベルリンの住環境―1920年代後半のジードルンク建設を中心に―」『史林』第92巻第1号、2009年、70-96頁
同上「『史料』に住む―ブルーノ・タウト設計の『森のジードルング』―」『ウェンディ』合人社グループ出版局、第298号、2014年3月15日、7頁

林 祐一郎(京都大学大学院文学研究科博士後期課程・日本学術振興会特別研究員DC1)

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