ドイツ四方山話

ベルリンの中の日本―異邦で迎える花の季節―

明るい空に、心地良い風。日は夜22時頃まで完全には沈まず、朝4時頃には薄明るくなってきます。こんなに穏やかで暖かいベルリンを味わったのは初めてでしょう。日本の大学院で歴史学を専攻してきた筆者は、今年の3月から丸々一年間、ドイツの首都で在外研究に従事させていただくことになりました。金銭的な支援を受けての海外滞在が幸せなこととはいえ、異邦の一人暮らしは孤独なものです。そこで、交流の場を求め、以前の長期留学時に参加していた合唱団を再び訪れることになりました。

一足遅い桜
三年前の記事にも書きましたように、ベルリンには「ボーカルアンサンブルさくらVokalensemble Sakura」という私設の合唱団があります。コロナ禍を一度経験したこともあり、構成員も大きく様変わりしていました。しかも、私が今回到着したばかりの頃、常時出席される男性は指揮者の重松一大さんだけで、周りの声に流されないように歌うのが大変でした。当時、合唱団は4月15日(土)のコンサートに向けて練習を重ねていました。

「世界の庭園」の桜(2023年4月15日筆者撮影)

大学の夏学期が始まる直前の週末、我々はベルリン東部マールツァーン Marzahnの「世界の庭園 Gärten der Welt」に集いました。ここには様々な文化圏の庭園があり、そのうちに日本など東アジアのものも含まれています。昨年に続いて今年もここで「桜花祭Kirschblütenfest」が開かれるため、我々も舞台で合唱することになったのです。お祭りの当日、桜が咲き誇る中、芝生の上には沢山の屋台が立ち並びます。生憎の曇天でしたが、舞台上でコスプレ大会が開かれる頃には、多くの来訪者で賑わっていました。

日本庭園の石庭(2023年4月15日筆者撮影)

我々が歌ったのは、「さくらさくら」「木曾節」「お江戸日本橋」「夢みたものは」「ちゃっきり節」といった古風な民謡です。最後には「さくらさくら」を日独両言語で歌いました。どれも美しい曲ですが、こうした合唱に耳を傾けてくれた人々が、コスプレ大会で盛り上がっていた人々とどれだけ重なっているのだろうかとも、思いを巡らせました。

話し相手を求めて
「ボーカルアンサンブルさくら」は、隔週月曜夕方に独日両言語で会話を楽しむ常連の会合として、シュタムティッシュ Stammtisch も開催しています。プロイセン改革期の宰相カール・アウグスト・フォン・ハルデンベルク侯爵 Karl August Fürst vonHardenberg(1750-1822)の名を冠した喫茶店「カフェ・ハルデンベルク Café
Hardenberg」にて、ベルリン在住の日本語話者や日本語学習者が集います。無論、これは日本人たちの情報共有の場として機能しているのですが、筆者は言語交換 Tandem の相手を求めて訪れていました。言語交換とは、自分が母国語を教えてあげる代わりに、相手から外国語を教えてもらうという語学学習の方法です。例えば、日本語話者である筆者が日本語を教える見返りとして、ドイツ語話者からドイツ語を教えてもらえる、という形で機能します。文化交流を体験する上でも有益なやり方です。

「カフェ・ハルデンベルク」のカイザーシュマーレン(2023年5月22日筆者撮影)

しかし、日本語学習者を見つけることができても、言語交換をしようと約束し、その上で継続的に交流を続けるのは簡単ではありません。お互いの言語や慣習には興味がありますから、自己紹介に始まる序盤の会話は盛り上がります。ところが、しばらく会話を続けているうちにネタが尽き、お互いの語学力不足も露呈してくると、次第に口数が減って、別の話し相手を探したり、時計をチラチラ見やったりするようになります。結局のところ、漠然と「文化」なるものに興味はあっても、他の何者にも取り替えられない「個人」についてお互いに関心が薄ければ、交流は続かないのです。連絡先を交換するだけして、その後は一度も遣り取りしていない人が沢山います。経済や商業だけの二国間交流が薄っぺらいと言われるように、「顔のない文化交流」も長続きしないのではないでしょうか。

まだ花盛りを迎えていないテルトウ Teltow の桜並木道(2023年4月16日筆者撮影)

自国に興味を持ってくれる人が周りに沢山いても、外国人が異邦で孤独を感じるのは、簡単には一般化できない、個別具体的なものへの無関心ゆえでしょう。事実、筆者がドイツで知り合った人々のうちで、最も深く長く交流を続けているのは、特に日本へ興味があるわけでもない、今のところ日本語を理解できるわけでもないメキシコの友人です。無論、話が続かないのは、筆者の工夫や鍛錬が足りないからでもあります。でも、ドイツ語がペラペラになったからといって、趣味的・学術的関心だけで関係が末永く保てるかと問うてみれば、答えるのが難しいところです。シュタムティッシュやタンデムは大事な機会ですが、究極的にはきっかけでしか有り得ません。

日本語のゲマインデ
人間の力でははっきりと認識できない何か超越的な存在が一人一人を見守ってくれている、という考え方を持つことで、孤独から脱するという方法もあります。こう書くと大袈裟ですが、筆者はドイツにおけるキリスト教の歴史にも興味を抱いてきたため、ベルリンでは日曜礼拝に参加しています。勿論、筆者が毎週参加しているのはドイツ語のものです。しかし、先述のシュタムティッシュである参加者の方から紹介され、ベルリン南西部のシェーネベルク Schöneberg でプロテスタントの日本語礼拝が守られていることを知りました。

パウル=ゲルハルト教会とシェーネベルク村教会(2023年5月21日筆者撮影)

ベルリン日本語教会は1980年代から成立していたそうですが、現在は幼稚園の一角を借りる形で集会を継続しています。牧師の秋葉睦子さんは日本基督教団の方で、ドイツ人の男性と結婚され、二十年ほど前からここで働いておられるようです。礼拝は隔週日曜14時から開かれ、直後にお茶会があります。非キリスト教徒にも門戸が開かれており、参加者にはカトリックなど他宗派の信徒も含まれるとのことです。初めて参加した5月21日(日)は、十人強が出席していました。筆者は洗礼を受けていないため、皆さんのようにパンとブドウを分かち合うことはできませんでしたが、春の日の昼下がりに小さな子供部屋で穏やかな空気を共有して、懐かしき日々の実家へ戻ったような気分でした。

礼拝当日のシェーネベルク区役所(2023年5月29日筆者撮影)

その一週間後の月曜日は、聖霊降臨祭の祝日でした。同日の11時からはシェーネベルク区役所前のJ・F・ケネディ広場で、超宗派・多言語のエキュメニカル合同礼拝が開かれました。プロテスタント、カトリック、正教会という垣根を超え、様々な言語で祈りが読み上げられます。当然、日本語教会もその中に含まれます。また、野外での開催ということもあり、音楽は持ち運び可能なヴァイオリンやアコーディオンで奏でられ、歌手や奏者の装いも現代的な私服でした。宗教儀礼であると共に、誰もが足を運びやすい音楽行事としても演出されていたように思われます。これも、一つの交流の形でしょう。

このように、国際都市ベルリンにあっては、日独交流の機会だけでなく、他の様々な異文化と触れ合える機会も沢山あります。不安や苦悩を抱えれば、教会で祈ることもできます。それに今は、光と緑に満ちた陽気な季節です。しかし、暗きにこそ光が照るように、明るいからこそ見えてくる影もあります。そういえば、日本語教会で初めてお会いした旧約聖書学者の小田島太郎さんが、海外滞在中に是非とも「終生の友」を得られると良いだろう、というようなことを仰っていました。筆者が思うに、友情とは往々にしてその時々に咲いては枯れる花のようなもので、一瞬の美しさはあっても、あまり長続きしなかったりします。そうした諦念を胸に秘めながら、ここで与えられている多くの好機を積極的に活かしつつ、より深く長い交流が実現されることを願っています。

林 祐一郎(京都大学大学院文学研究科博士後期課程・日本学術振興会特別研究員DC1)

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