ドイツ四方山話

《読書案内》信仰と科学との間で思索すること―クルト・ノヴァク(加納和寛訳)『評伝 アドルフ・フォン・ハルナック』―

 

「関西には、カトリックのドイツ系教会だけではなくて、プロテスタントのドイツ系教会もあるのですよ」。こんなことをお聞きしたのは、昨年11月11日に神戸市立外国人墓地で催された「戦没者のための仏独共同記念式典」でのこと(拙稿「《読書案内》日本ドイツ学への「異議申立」」も参照)。当時大阪のドイツ総領事館に勤務されていた、外交官のウーヴェ・メーアケッター Uwe Meerkötter さんからでした。この言葉に導かれるまま、六甲のドイツ語プロテスタント教会へ通うようになった筆者は、教会の牧師や理事、大学の先生方などからご協力を得て、教会文書の整理をお手伝いしています。このドイツ系教会が日本での活動を始めたのは、今から150年程前の明治維新期、要は近代になってからのこと。「合理化」「世俗化」「脱魔術化」の過程だと思われがちな近代のヨーロッパはしかし、宗教的な信仰と切っても切り離せない関係にありました。今回は、そんな近代の神学者を描いた伝記として、クルト・ノヴァク(加納和寛訳)『評伝 アドルフ・フォン・ハルナック』を紹介します。

 

『評伝 アドルフ・フォン・ハルナック』(関西学院大学出版会公式サイトより)

 

壇上の近代人

ハルナックは、自由主義者にしてナショナリストであるという二重の意味で、まさに「近代人」でした。一方では、キリスト教の教義の生成変化を文献史料に基づいて検討し、他方では、皇室や国家と接近しながら教育・研究環境を整理していたのです。例えば、ベルリン王立図書館(現ベルリン国立図書館 Staatsbibliothek zu Berlin, Stabi)の拡充や、カイザー・ヴィルヘルム学術振興協会(現マックス・プランク学術振興協会 Max-Planck-Gesellschaft zur Förderung der Wissenschaften, MPG)の創設には、彼も大きく関わっています。ただし、彼が学術の発展に寄与したことは明らかですが、第一次世界大戦期にドイツの参戦を支持したことも事実です。また、キリストの教えが一定不変ではなく、国家と教会、政治と学問との関係次第で変化してきたと考える彼の理解は、保守派からの反発を買いました。

 

ベルリン国立図書館のハルナック頭像(2022年9月26日筆者撮影)

 

第二のルター?

ところが、ハルナックが何でも斜に構えて《冷笑》する「不信心者」だったかと言えば、本書を拝読する限り、それは間違いのようです。寧ろ本書が描き出すのは、ある《敬虔》な信仰者の姿です。ハルナックは、教会や聖職者が説いてきた教義が「科学的」に検証されることで、却って主イエス・キリストの言葉、神様の福音そのものに回帰できると考えた、と。その意味で、彼は《信仰》と《科学》、《熱狂》と《冷静》、《感情》と《理性》といった近代ヨーロッパの表裏一体――十円玉の如く、その裏表は見る人によって異なり、そこまで重要でもない――を体現しているのかもしれません。そう考えて読んでみると、本書は一つのドイツ文化論、ヨーロッパ文化論の手掛かりになるでしょう(拙稿「《読書案内》どうしてカントとゲーテの国でヒトラーが?」も参照)。

 

ベルリン大聖堂の内観(2022年9月25日筆者撮影)

 

信仰も苦悩も橋を渡る

今年の8月、筆者は『日独友好の橋を架けたドイツ人たち』という本を取り上げました(拙稿「《読書案内》「友好」という名の「伝統」と向き合うために」)。そこではあまり紹介されていませんでしたが、ドイツからはキリスト教の関係者たちも来日し、日本の近代思想に影響を及ぼしました。日本におけるドイツ系教会の宣教史を扱った『日本におけるドイツ―ドイツ宣教史百二十五年―』という、貴重な研究成果もあります。本書末尾の「訳者解説」でも、軍医としてベルリンに渡った作家の森鴎外(1862~1962)や、日本で教鞭を執った美術史家の三浦アンナ(1894~1967)などが、ハルナックに言及したり、彼から感化されたりした、ということに触れています。制度や技術と共に、信仰も橋を渡ってきました。筆者が六甲のドイツ系教会で史料整理のお手伝いを出来ているのも、こうした巡り合わせの結果でしょう。

 

ドイツ語礼拝が開かれる神戸ユニオン教会(2022年4月17日筆者撮影)

 

それとほぼ時を同じくして、ドイツの自由主義的な神学が日本へ流入することで、《信仰》と《科学》を巡る苦悩も持ち込まれました。これは、決して過去の問題ではありません。平日に「現実主義」や「権力政治」を志向せざるを得ず、立場上何でも言えるわけではないと思われる外交官の彼は、週末には何を思いながら教会へ通ったのでしょうか。どれだけ知りたくても、今はまだ分かりません。しかし、文字や音声にならない、場合によっては墓場まで持って行かれるようなものを《科学》するのも、事実の存在を《信仰》する歴史学の使命でしょう。

 

<書誌情報>

クルト・ノヴァク(加納和寛訳)『評伝 アドルフ・フォン・ハルナック』関西学院大学出版会、2022年

<参考文献>

「ドイツ語プロテスタント教会神戸大阪について」2022年10月15日閲覧確認

日本におけるドイツ宣教史研究会編『日本におけるドイツ―ドイツ宣教史百二十五年―』新教出版社、2010年

林祐一郎「《読書案内》どうしてカントとゲーテの国でヒトラーが?―野田宣雄『ドイツ教養市民層の歴史』―」2021年2月22日

同上「《読書案内》日本ドイツ学への「異議申立」―今野元『ドイツ・ナショナリズム』―」2021年12月14日

同上「《読書案内》「友好」という名の「伝統」と向き合うために―ルプレヒト・フォンドラン(鈴木ファストアーベント理恵・小野竜史訳)『日独友好の橋を架けたドイツ人たち』―」2022年8月18日

 

文責:林 祐一郎(京都大学大学院文学研究科博士後期課程・日本学術振興会特別研究員DC1)

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