今年は1871年のドイツ統一から150周年。その2年後の1873年、帝都ベルリンへやって来た日本の岩倉使節団に対して、ドイツ帝国宰相オットー・フォン・ビスマルク Otto von Bismarck(1815-98)がこう言いました。「国際法は、個々の法的秩序の維持を目的としています。しかしながら、ある大国が他国と衝突すれば、もし自国に有利であるという前提があれば国際法に従って対処するものの、そうでない場合は国際法を無視して〔軍事〕力に任せて自国の要求を主張するでしょう」(本書3頁)。
プロイセン王国首相としてドイツ統一戦争を主導した「鉄血宰相」が明治の元勲たちに語ったこの言葉は、彼自身の実体験に基づいたものでした。その実体験とは、一体どのようなものだったのでしょうか。こうした問いから、ドイツ統一を巡るフランス、イギリス、アメリカ、そして日本との関係が浮き上がってきます。今回紹介するのは、飯田洋介『グローバル・ヒストリーとしての独仏戦争―ビスマルク外交を海から捉えなおす』です。
ドイツ統一を巡る欧米列強の思惑
1860年代、ベルリンを首都とするプロイセン王国は、ドイツ統一を巡って三つの戦争に参加しました。その三つ目に当たる戦争が、1870~71年の独仏戦争(普仏戦争)です。この戦争は、プロイセン軍が陸上での戦闘を終始優勢な状態で進めたため、同軍の快勝として記憶されがちですが、海上での戦いには多くの不安が付き纏っていました。というのも、プロイセンは陸軍大国ではあっても海軍大国ではなく、フランス海軍に対して常に不利な状況にあったからです。特にビスマルクが恐れたのは、フランス艦隊がドイツ系商船を拿捕し、国内への物資の供給を滞らせてしまうことでした。
そこで、彼はアメリカの協力に期待し、同国から軍艦が供給されるよう、またフランス艦船にドイツ系商船を拿捕させないための国際法改正へ協力してくれるよう打診します。これらの提案が失敗に終わると、ビスマルクはイギリスに対して、フランス海軍が国際法の範囲を逸脱して商船を攻撃していることを非難するよう働きかけますが、これも成功しませんでした。冒頭で紹介した彼の言葉は、こうした苦い実体験に裏打ちされていたわけです。
幻の日本水域中立化構想
独仏戦争の波は極東にも及んでいました。ドイツ系商船は1830年代頃から中国に出没するようになり、1861年には日本とプロイセンとの間で修好条約が締結されていました。したがって、中国や日本の近海で活動するドイツ系商船をフランス海軍の手から守るということも、重要な外交課題となります。そこで、独仏戦争が始まると、長崎に停泊していたドイツ艦「ヘルタ」の艦長ハインリヒ・ケーラー Heinrich Köhler(1824-82)が、中国と日本の水域では独仏間の戦闘を停止するよう提案します。当時の駐日北ドイツ連邦公使マックス・フォン・ブラント Max von Brandt(1835-1920)も後押ししますが、これはフランス側の拒絶によって頓挫しました。
結局、ビスマルクは苦情を聞き入れてくれない列強の対応に幻滅し、自国も国際法を遵守せずに商船を拿捕するという立場を採ることで「反撃」へ出ました。もっとも、その後間も無く陸軍がフランスの首都パリに入城して勝利を収めたため、この大胆な「反撃」の是非は定かでありません。しかし、ドイツ統一を巡るビスマルク外交が欧州大陸を越え、極東の日本にまで至る広がりを持っていたことは、本書が雄弁に語る興味深い事実です。
「グローバル」という看板
著者は、本書が「従来のビスマルク外交や独仏戦争の歴史に、グローバルな視点から異なる彩を与えることで、その理解を深めてくれる」ことの一助になって欲しいと述べています(本書226頁)。確かに、「視野をヨーロッパから日米を含めた世界全体に広げ、視点を「陸」から「海」に、統一問題やフランスとの領土問題から海事問題に変えて見ると、戦勝と統一という華やかな歴史の陰に隠れたもう一つの歴史が現れて」きました(同上)。しかし、本書が掲げる「グローバル」という看板が妥当なのかということについては、大いに疑問が残ります。単に地理的範囲を広げること、あるいは海へ目を向けることが「グローバル」なのでしょうか。そもそも、国際関係を検討する外交史研究であれば、その対象が「ローカル」ないし「ナショナル」な範囲に留まらないのは当たり前であって、本書の内容はそのままに看板が「国際的」から「グローバル」に取り換えられただけのように思われます。また、自覚的に「グローバル・ヒストリー」を標榜する人々は「ナショナル」な一国史だけでなく、諸国興亡史として描かれる日本式の「世界史」も批判してきたはずです。そうだとすれば、一国の代表者たるビスマルクを中心に列強の角逐を描く本書を「グローバル・ヒストリー」の一列に加えることは躊躇われます。
「あとがき」にもあるように、著者は最初から「グローバル・ヒストリー」を構想していたわけではないそうです。だとすれば、この「グローバル」という看板は、本書の壮大さを読者に訴えかける戦略の一環だったのではないでしょうか。これを機に、読者である我々は「グローバル」という言葉の曖昧さについて、また「グローバル」という視野を採用することで却って見えなくなってしまうものについても、よく考えてみるべきでしょう(ゼバスティアン・コンラート『グローバル・ヒストリー―批判的歴史叙述のために』)。
とはいえ、こうした曖昧さにも拘わらず本書の筋が通っているのは、2015年の『ビスマルク―ドイツ帝国を築いた政治外交術』に代表されるように、著者が一貫してビスマルクという具体的な個人に注目し続け、本書でも主に彼を通じて歴史を描いているからでしょう。著者が広大な世界史の海に身を投じることができたのも、ビスマルク研究という確たる軸があったからなのではないでしょうか。「グローバル」という言葉の氾濫の中で、ここに一筋の光を見出せるような気もします。
<書誌情報>
飯田洋介『グローバル・ヒストリーとしての独仏戦争―ビスマルク外交を海から捉えなおす』NHKブックス、2021年。
<参考文献>
飯田洋介『ビスマルク―ドイツ帝国を築いた政治外交術』中公新書、2015年。
国立公文書館アジア歴史資料センター「明治150年 インターネット特別展 岩倉使節団~海を越えた150人の軌跡~」、2021年4月20日閲覧確認。
コンラート, ゼバスティアン『グローバル・ヒストリー―批判的歴史叙述のために』岩波書店、小田原琳訳、2021年。
文責:林 祐一郎(大阪日独協会学生会員)
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