ハプスブルク帝国の民族分布図(1855年頃、ウィキメディア・コモンズより)
今年七月の《読書案内》では大津留厚『さまよえるハプスブルク』を紹介しましたが(拙稿「《読書案内》多民族国家が崩壊するとき」)、この本の背景にある「ハプスブルク帝国」とは何だったのか、ピンと来る人は少ないかもしれません。この帝国は、現在のオーストリア、ハンガリー、チェコ、スロヴァキア、スロヴェニア、クロアティアなどに当たる中東欧の地域を含んでいて、要はハプスブルク家の皇帝がヴィーンを中心に支配していた、慣習も言語も様々な領域のことを指しています。文化的にも民族的にも多様な領域でしたから、19世紀にナショナリズムの時代が訪れると、帝国内で色々な勢力が蠢き合い、結果的には崩壊してしまいました。この凡そ百年の過程を骨太に描き上げた作品が、今回紹介するA. J. P. テイラー(倉田稔訳)『ハプスブルク帝国 1809-1918』です。
「オーストリア問題」と歴史家テイラー
「超民族的王朝国家と民族原理との衝突は、その終りまで闘われねばならなかった。支配民族と従属民族との衝突もまたそうであった。(…中略…)民族原理は、ひとたび打ち揚げられると、その結論までそれを貫徹しなければならなかった」(本書5頁)。著者のテイラーは、皇帝を頂点に民族の区分を超えた国家であるハプスブルク帝国と、その領域内のドイツ人、マジャール人、ボヘミア人、ポーランド人、ウクライナ人といった様々な集団のナショナリズム的な要求とが容易に和解できなかったことを「オーストリア問題」と呼び、ハプスブルク帝国最後の百年間を一つの王朝と諸々の民族との交渉や闘争の歴史、世界観の邂逅と訣別として描いているのです。数々の公文書を読み漁って色々な勢力の「蠢き」を描き出すテイラーの「伝統的」な政治史の手法は、ドイツの戦争責任を巡って論争を呼んだ別著『第二次世界大戦の起源』にも活かされています。
「ハプスブルク帝国」を知るために
しかしながら、この本はまず第二次世界大戦中の1941年に出版されたもので、戦後の1948年にも加筆・修正されたとはいえ、「新しい」ものだとは決して言えません。また、この日本語版は直訳調の表現が多く、読むのに時間と労力がかかるため、入門者が最初に触れるべき本としてお勧めすることはできません。ハプスブルク帝国について短く分かり易い説明を求める方は、大津留厚『ハプスブルク帝国』を読まれると良いでしょうし、近年の研究成果が反映された通史を求める方は、岩崎周一『ハプスブルク帝国』を読まれると宜しいでしょう。とはいっても、テイラーがその後のハプスブルク帝国史の基礎を作り上げたことは確かですし、そもそも「新しい」ものが良いものだとも限りません。こうした「古い」ものの中にも、我々読者の思考を深める「新しさ」があるかもしれないのです。
<書誌情報>
テイラー, A. J. P.(倉田稔訳)『ハプスブルク帝国 1809-1918―オーストリア帝国とオーストリア=ハンガリーの歴史―』筑摩書房、2021年。
<参考文献>
同上『さまよえるハプスブルク―捕虜たちが見た帝国の崩壊―』岩波書店、2021年。
テイラー, A. J. P.(吉田輝夫訳)『第二次世界大戦の起源』講談社学術文庫、2011年。
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